ディオバン事件:生物統計家の倫理観


生物統計を大学院で専攻する人のバックグラウンドもさまざまですが、やはり一番楽しいだろうと思うのは、大学時代にも数学か統計を専攻しており、広範囲な知識を武器にいずれ教授となって理論や解析方法論を研究する仕事。自分自身のプロジェクトをもち、自分がボスになって研究したいことをする。それ以外は、多かれ少なかれ他者とコラボレーションが必要で、自分が100%主体になるのは難しい。共同主席研究者(Co-Prinicipal Investigator)として充実感を持ち高度な仕事をしている人もいるが、(本人はそう思っていなくても)ナンバークランチャーとして働かせられる人もいる。

生物統計家は生物学を学んでいることが前提ですが、その場その場で、予備知識のない研究に参加することも圧倒的に多いです。勤務先だった研究所は生物統計・計算生物学の専門家がわんさか居ましたが、生物統計の同僚に聞くと30から50ぐらいのプロジェクトを抱えていました。私もマウスの基礎データ解析やらイメジングのトレーサー研究やら多施設共同臨床試験のデザインやら色々やりました。つまり、日々違った研究チーム・ラボと仕事をするわけです。

本人たちに聞いたわけではないけれど、研究チーム専属で仕事をするのと違って生物統計家には少しアウェイ感があると思います。良く言えば専門家として迎えられるお客様感。この感じを「研究を理解し如何に主体性を持って取り組むように変えていけるか」、この部分で生物統計家の間で個人差があるように見えます。

言い換えれば、当該研究にどれだけ責任を持って取り組むことができるか。そして、その責任は誰に対するものなのか。ディオバンの臨床研究であれば、将来その解析結果がおよぶ患者に対してなのか(倫理的および社会的責任)、治験責任医師に対してなのか(共依存相手への恩義)、それとも自分を評価してくれる会社に対してなのか(自己の手柄を遂行する責任)。

解析結果が社会に影響する重要性を考えれば一番倫理観をもって仕事をしなくてはならないのに、アウェイ感を持ったまま専門家として崇められ、会社への利益や論文執筆者として名を連ねる自己の利益を優先し、研究の社会的意義を考えずにいるような人は、ディオバン事件のような問題を起こす可能性があるでしょう。

もう一つ、統計解析者が人一倍倫理観を持っていなくてはならない理由があります。元社員の統計解析担当者はデータ改ざん容疑を否認していると伝えられました。百歩譲って、故意の過失によるデータ改ざんはしなかったとしましょう。


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