先日、「「フニャフニャ日本人」への警鐘」のタイトルが面白いと思った記事が、あまりに古くさい考えで驚きました。これが日本経済新聞に掲載とは、産業界のダイバーシティーの取り組みは大丈夫かと心配になりました。
この記事の概要は、(1)最近の若者が「話せば分かる」概念を理解してなさそうなこと、(2) これは子供時代の甘やかしが原因であること、(3) 子供が理解しないときは身の痛みを持って教える必要がありそう、ということでした。
まず初めに気づくのは、(1)と(3)の整合性がないこと、つまり「話せばわかる」と考える人自身が子供を痛めることを容認するってどういうこと?って思いますね。
アメリカで生活していると、話せばわかるの「話す」の部分はとことん話す必要があるってことだと実感します。日本人が話しつくしたと思う感覚は実は全然足りていない、「日本の常識、世界の非常識」ぐらいに思ったほうがいいかもしれないです。
バックグラウンドが全く違う相手に対して伝わるまで話すことを諦めてしまった結果が、他の手段、例えば、子供相手だと身体的痛みを与えることにつながるでしょう。
ここでうちの例を挙げてみます。わたしの娘は反抗期に入っていますが、西洋の血で体のバネが良いせいか力がとても強いです。エビ反りになって言うことをきかない娘を叱るのは体力がいるし、自分が子供のころは普通におしりを叩かれたりしたので、たたいて叱ってしまえばどんなに簡単に(その場は)解決してしまうだろうと思うことがあります。
しかし、ここは子供の権利を尊重するアメリカですから、叩けないですねー。