米国のボランティア活動についての考察


「オフコース!ボランティアをする、そんな自分がかっこいいから、ボランティアをするのよ。相手が困っているから助けてあげたいと思ってボランティアする人なんていないよねー。」

というのです。大変目から鱗でしたが、妙に納得もしました。相手を助けたいと思うと、なんとかなるまで助けなくてはいけないという過度の義務感、また相手への期待(状況が良くなってほしい、感謝されたいなど)が生まれてしまう。それで状況が一向に改善しない場合や手に負えないほどの作業量の場合、ボランティアする側が極度に疲弊してしまうことがある。

例えば、以前神戸や福島の震災ボランティア活動で、皆ががんばっているのだからエンドレスな作業から自分だけ抜けて帰れない、といったニュースを記憶していますが、和より個人を重んじるアメリカ的なボランティア活動だったら、そういう状況になりにくいのでしょう。自尊心が高く、自分はここまでで切り上げて全く問題ないという判断ができるし許されるのでしょうね。

元々ボストンで参加したボランティア活動では皆、募集時に活動時間が事前に知らされていました。2時間、4時間とか。予定の仕事量が時間内に終わりそうになければ、終わらせない、諦める、次のボランティアの募集をかける、ということもありました。コーディネーター側もなるべくその時に終わらせたいので作業の優先順位をつけて予定変更などしていましたが、非完璧主義なのもボランティアを長く続けるコツなのでしょう。

ちなみに、例外だったのは低所得者やホームレス(underserved population)への食事作りと配給のボランティア。ここでは軍隊みたいな厳しい雰囲気のボランティア活動で、「この場はUnderserved peopleが一番リスペクトされるべき存在」などとの心構えを教わりました。それもまたアメリカ社会の貧困問題を直接考えさせられる貴重な体験でした。

アメリカ人のボランティア活動に対する先述の考え方が日本人の私からすると違和感を覚えるのは、恐らく宗教的バックグラウンドの違いも要因でしょう。アメリカの大学で(PharmD受験に必須の)社会学を受講したことがあるのですが、そこでオンラインディスカッションなるものがあり、彼らの宗教的バックグラウンドを多く知ることができました。


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