変化には必ずついていくべき。


まず、一つ目の例は、日本の大学入試改革について。日本では、センター試験、昔でいうと共通一次試験、大学の個別学力試験などペーパーテストだけで合否を判断するシステムが大学入試の大半を占めてきました。それに対して、近年、知識偏重型でなく多面的評価の入試に変えるため、入試試験を1年に複数回受験できる案がでてきたり、新共通テストが2020年から予定されていたり京都大学では特色入試が一部取り入れられたり、アメリカ型に倣ったAO入試が続いていたり、します。

これに対し、従来の受験システムでの成功体験があるひとや、記憶力が優れ知識偏重型の試験が得意なひとは、これまでの受験システムに問題のほうが良い、むしろAO入試のために、いわゆる地頭が良いひとが大学から減るという理由で、抵抗感をもつことがあるでしょう。

しかし、知識偏重型の入試に問題点があるから、改革したいわけで、そこに留まってしまうと解決できないままです。AO入試が簡単だといわれることもありますが、それならばAO入試などをまず取り入れた多面的評価型に変えてから(知識偏重型入試の問題点を解決してから)、地頭の良い学生もきちんと集められるように試験問題を難しくすれば良さそうです。

AO入試みたいな比較的新しい方式を失敗とみなして潰してしまうより、現状を分析して改良したほうが生産的ですよね。

二つ目の例は、23andMeの記事で話題にしたPharmacogenomics (ゲノム薬理学) に関連するもの。製薬会社を最大限にあげるには、one size fits allみたいな薬、つまり患者の遺伝子型によらず大衆の殆どに使える薬を開発するのが、マーケットが小さくせずに済む一番良い方法です。

だから、FDAや厚生労働省が製薬会社に要求しなければ、患者の遺伝子型別に薬の効果を調べる試験はしないほうが良い(試験の結果、遺伝子型による違いが判明すれば薬の効能書きを患者の遺伝子型別に記載する必要があり、効かない遺伝子型をもつ患者に売ることができなくなるから)。

ですが、大手製薬会社では、pharmacogenomics的な試験の義務があるかに関わらず、研究開発費を惜しまず、どちらからというと科学的観点から、そういう試験をどんどんやっていく。そうすると、規制当局もそういうデータを次々受け入れるようになって、結局、どんな会社でも、積極的にデータをとっていかなくてはならなくなるのでしょうね。結局pharmacogenomicsをやる必要がでてくるならば、急がば回れで初めから開発計画に入れておいて、その中で最短の期間でエコノミカルに薬が開発できるような試験をデザインしたり、薬の承認後に利益を上げていくか戦略を立てるのが良いように思われます。

現にターゲットの遺伝子型を判別(genotyping)して初めて使える抗がん剤には、その遺伝子型を判別するキットを売るための開発もしていますよね。広義にはCompanion Diagnosticsと言われますが、大手製薬会社もCompanion Diagnosticキットの開発をしているし、また、抗がん剤だけでなく抗HIV薬など他の薬においてもCompanion Diagnostics製品の開発で更にしのぎが削られています

変化に関する三つ目の例は、これも薬の開発においてですが、シミュレーションの取り入れです。薬の開発で必要な臨床試験の最大の利点は、ヒトでのデータを倫理的に広く受け入れられる方法で採り、そのデータを元に薬の効能と安全性を科学的に証明することができるので、万人に対し、堂々とそれを謳うことができるということでしょう。わたし自身、臨床開発と臨床系の生物統計家という仕事を通して、これを信じてきました。

一方、in silicoと呼ばれる、実際に臨床試験をするのでなく、シミュレーションで薬の効果や安全性を予測する試験があります。患者さんの年齢、性別、体型、病態や腎機能といったプロフィールのシナリオを色々想定しておき、薬を使うとどうなるかプログラミングを通して実験します。

このin silicoに対して、臨床試験が王道だと思うなら、実際の患者で薬を使うと想定外のことが起こるので、in silicoのシナリオでは対応しきれないという考えがでてきます。いまのところは、そのとおりで、患者の全ての臓器の状態だったりをパラメータ化し全てをシミュレーションのモデルに入れて検討するのは、技術的にも、専門知識の結集させる必要性からも、実際的ではないでしょう。


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