先日3週間オーストリアへ行ってきました。その間、高卒から大学教授まで年齢だと30代から60代くらいの色々なオーストリア人と話してきました。驚いたことは殆どの人が英語を流暢に話せるということ。
アメリカへ旅行に行ったことがあるとか、アメリカでポスドクをしていたとか、イギリスに住んだことがあるとか、仕事で英語を使うとか、ある程度会った人の母集団にバイアスがあるのかもしれないが、平均的日本人の英語力との差は明らかで圧倒されました。
私以外皆オーストリア人という輪の中で、私の理解のためにドイツ語から英語に切り替えて会話していました。英語で話せないのは小さな町の村長さんぐらい。最近日本の大学受験にTOEFLという英語の試験を採用するとかいう話がありましたが、彼らの英語力はTOEFLで測るレベルを超えているように思えるほど流暢でした。会った人の半分ぐらいは私の英語力より高そうでした。
昔アメリカに研究留学にきていた日本人と議論したことがあります。英語力のほうが重要か、研究の中身が重要か。英語力しかとりえがなかった当時の私は英語がまずできることが重要と考えていました。実際には、英語が話せないノーベル賞受賞者もいるし、説得力があるのは研究の中身のほうが重要という考え方でしょう。それでも私は今、研究内容も英語も両方大事だと思っています。理由のひとつに次のエピソードがあります。
ひとつめのPhD取得を目前にした博士課程も終わりかけのころ、アメリカの学会のある分科会グループから私は学生に贈られる賞をもらいました。といっても、実際は4人の学生しか応募していなかったので、賞のもらえる確率は四分の一。そんな裏話は知られる由もなく、この受賞が学会の大きな総会でアナウンスされたおかげで、学会に日本から来ていた数名の方々に顔を知ってもらえました。そしてディナーをご馳走して頂けることになりました。
学生の身分では普段あまり食べないイタリアンやワインを沢山ご馳走していただき、しかも普段私が関わらない分野、例えば原子力、経済学、農学といった方面の日本の研究者や教授の方々の話が聞けて、久しぶりに日本語で話せてとても楽しかったです。そこで聞いた記憶に残る話は、この時の学会のメインテーマであるリスク解析は日本の学会では20年前に流行ったテーマだというものでした。