多分、この4ヶ月間で行ったプレゼンの数は20回程度(インフォーマルなものも含む)。
プレゼンのネタは全部違うというのが、目玉(なのか)。
非臨床試験、CMC、生物学的製剤、FDAガイダンス、臨床試験、クリティカル・ケア、感染症、心血管疾患、抗がん剤、薬学疫学などなど(やはり、アメリカで多い心血管疾患は必ず入ってきます)。
もちろん、それにレポート提出や、通常の試験が入ってきて(大体、3時間で週末土曜日。。。)いたので、このセメスターは本当に休めなかった。
土曜日1時間だけ、娘とパパさんとスタバでお茶をするというのが(スタバは徒歩5分ぐらいのとこにある)、唯一心休まる息抜きでありました。
ご想像の通り、育児・家事はほぼ全てパパさんが行ってくれました。彼のサポートがあるからこそ、家族がひとつにまとまっているわけで、感謝しきれないぐらい感謝です。彼自身もうすぐ教授になるらしいんですが、本当に偉いです。
この春セメスターは、本人からみても他の学生からみてもらっても、一番過酷だったと思われ、これから楽になると期待はしないものの、もう少し家のことができると思います。または、この一連の授業、コースワークが終わる1年後には、もうすこし時間がとれると思います。取りたいです!
必須科目、ジャーナルクラブと、クリニシャン。
春セメスターが過酷だったのは、わたしが博士課程1年目用と2年目用のクラスを同時に1年目に取らざるを得なかったからです。なぜかというと、2年目にとるべき授業が2年おきにしか開講されないから。つまり、今年これらの授業を受講しないと、コースワークを終えておくべき3年目に受講することになってしまう。それは避けなければいけないので、1、2年目の必須科目をほとんど登録となりました。